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ウィルとトーノの大冒険
きりん〜大晦日だよ、そして新年だよ!

世の中は不況だと言う。我らがヤンドンの町のど真ん中ででかい面をしている豪華ホテル『ろいやるヤンドン』でさえも、近頃では空室が目立つらしい。年越しキャンペーンと称し、カップルや家族で宿泊すると素敵なプレゼントをくれてやるとかなんとか、鬱陶しい広告を目撃してしまった。私のような独り身はターゲット外と言うことか。なるほどな。
 世の中は不況だと言う。しかし、私の愛してやまない宿『きりん』の客の入りは、景気が良かった頃と変わらない。いや、変わりようがない。なにしろ、好景気でも閑古鳥が鳴いていたのだ。来る者と言えば、もはや客というより知人友人というべき常連と、年に数人いるかいないかの物珍しさでやってきた新客くらいのものだ。
 何がいけないのだろうか。非常にわかりづらい奥まった立地条件か。景気に左右されず常に寂れた雰囲気を醸し出す外装か。それとも、主人であるこの私か。
「全部でしょ」
 ウィスキーのグラス片手にリヴはあっさりばっさり、気持ちいいほどに切り捨てた。
「俺もそう思いますね」
 ジンジャーエールのグラスを静かに置いて、トーノは憐れみの眼差しを私に向けてきた。
「このハンバーグ、めちゃめちゃうまいよ!」
 ウィルは、主人兼シェフである私が愛情を込めて作った特大ハンバーグを、口の中をいっぱいにして食べている。そんなにかき込まずとも、誰も横取りはしまいものを。
「トーノ、あんま食欲ないの? 食べないなら、オレが食べちゃうよ〜」
 ウィルは、トーノの皿に残っていた鶏肉の香草焼きにフォークを突き立てた。
「ふざけんな! おまえにはハンバーグがあるだろ!」
トーノはこめかみに青筋をたてた。
「えー? 残してるから、もらっちゃおうかと思ったんだけど」
「残してるんじゃないッ! 今、食べてるところだろ! 俺はおまえと違ってお上品なんだよ。おまえみたいにうまいまずいもわからない勢いで食べる猛獣と一緒にしないでくれ」
「うわ、トーノ、それ失礼。オレ、ちゃんと味わってるもん」
 額をくっつけて睨み合い正面から怒鳴り合う、ガキ二人。
 その横で、リヴは盛大なため息を吐いた。
「あなたたちのせいで皺が増えそうだわ」
「もうすぐ年が変わるもんね。そりゃ、皺だって増えるんじゃないの〜?」
 さらりと恐いことを言ってのけたのは、メリルだ。
「年越しの瞬間に皺が増えるなんて聞いたことないわね。それって、科学的に証明されていることなのかしら? だとしたら、根拠を教えていただきたいわね」
 リヴはメリルに一瞥もくれず、酒をあおった。
 リヴは二十五歳。メリルは十九歳。おそらく半世紀後にはどうでもよくなるくらいの年齢差だが、現段階では大きな隔たりだ。四十すぎの私からしてみれば、どちらも青二才なのだが、そんなことを口にしたら、飛んで火に入る夏の虫だ……今は、冬だがな。
「ただいま」
 いがみあう二組と孤独な中年男しかいない食堂へ、フェイが帰ってきた。彼は、昔は伝説と化した英雄の一人として知られ、現在は南の小国シュツオを壊滅させたという濡れ衣を着せられるという波乱の人生を送っているが、昔より今のほうが幸せそうな顔をしている不思議な男だ。試練を乗り越えるたびに強く、人間としても大きくなったのだろうとか言うと、もう褒めすぎで私の口がむずがゆいので、単に良い奥さんをもらったからだ、ということにしておく。その奥さん、エルシーは身重につき、二階で休んでいる。
 フェイは抱きかかえていた荷物を空いているテーブルに置いた。エルシー手編みのマフラーを首から外しながら、外は寒いよ、などと、ありきたりでつまらない感想をもらした。二組がケンカをしていても、全くの無視だ。もちろん、二組のほうも、フェイの平凡なつぶやきは無視だ。
 フェイは軽く肩をすくめ、一人、荷物を広げ始めた。何を大量に買ってきたのかと思えば、ほとんどがスナック菓子とチョコレートだ。
「あーッ! 生チョコ食べたいッ」
 ウィルは目を爛々と輝かせた。すると、すかさず、
「ご飯食べ終わってからにしなさい」
 と、リヴ。
「はーい」
 素直に食事に戻るウィルを尻目に、フェイは大人げなく、ポテトチップスの袋を開けた。
「ちょっと!」
 リヴが非難めいた視線をフェイに投げつけた。 「たぶん、このチャンスを」ばり「のがしたら」ばりぼり「俺」もぐもぐ「食べ損ねちゃうから」
 三十過ぎの男が、口の周りを菓子の粉だらけにして、一心不乱に菓子を食べている。
「……ああはなりたくないな」
 トーノはげんなりし、一口サイズに切った鶏肉を、お上品に口に運んだ。
「せめて座って食べなさいよ!」
 リヴに怒られたが、フェイは平然としている。
「ああ」ばりぼり「久しぶりに食べると」ぺろ、ぱくり「おいしいなあ」もぐもぐ「うれし――」バキッ!
 口の開いた袋からポテトチップスが飛び出し宙を舞う。儚く散りゆくチップスと共に、顔面から床に倒れる人影。
 ――おっと、強烈な回し蹴り! フェイ、マットに沈みましたあああ! いやあ、ガードをしていないところを狙われましたねえ。うーん、これは痛いッ。立てるか? 立ってくれ。まあ、ちょっと厳しいでしょうねえ――いかん、いかん、実況と解説をこなしてる場合ではない。
 我に返ったものの、私は驚愕と戦慄で口を開けたまま、声が出なかった。
 素早い回し蹴りを繰り出した張本人はすました顔をしているが……妊婦だ。それ以前に、一体いつの間に二階から降りてきたのだ。足音を殺して来るとは、すえ恐ろしい。
「人の目を盗んで、何食べ散らかしてるのよッ!」
 フェイの妻、エルシーは胸の前で腕を組んで、目をつり上げた。
 床に散らばったポテトチップスにまみれ、フェイはうつぶせに倒れている。
「少なくとも、さっきまでは散らかしてはいなかったぞ。エルシーのキックのせいだよ?」
 私が言うと、エルシーはフンと鼻をならした。
「キックをまともに食らうようじゃ、まだまだだわ」
 いや、そういうことじゃないんじゃあないのかね。そう思いながら、私はちらりとフェイを見た。蹴られた背中をさすりながら、立ち上がろうとしているところだった。
「くっそー。一袋くらい食べたかったのに」
 うめき声とともに吐き出されたのは、回し蹴りに対する怒りではなく、食べ損ねた菓子への嘆きだった。
「今のでどれだけ無駄なカロリーを摂取しちゃったのかしらね」
 エルシーの冷笑に、フェイは青ざめ、一瞬頭を下げかけた。が、きっと瞳に力をこめ、握りしめた拳で自身の胸を叩いた。
「大晦日くらい、不摂生したっていいじゃんか!」
 子供だ。まるで子供だ。三十二歳、子供だ。
「そ、そうだよ! フェイ、いつも、食べたいもの我慢してんだからさ」
 ウィルは、ハンバーグの入った口を大きくあけ、フェイに加勢した。フェイは、味方がついた嬉しさもそこそこに、ウィルの口から飛ぶハンバーグソースのしぶきに心底嫌そうな顔をした。
「だめよ。一度でも気を緩めたら、引き締め直すためには、今までの二倍努力が必要なんだからね」
「………」
 フェイは黙ってしまった。その強ばった表情から、過去のあれこれを思い出している様子がうかがえた。
 フェイは魔術師だ。世の中には、肉弾戦も得意とする魔術師もいるが、昔のフェイはそうではなかった。フェイが英雄と呼ばれる所以となったスノア南の森でのドラゴン退治では、傑出した能力を集合させたパーティが組まれていた。年長の優れた剣士たちがいる中、まだ少年だったフェイには、肉体的な戦闘は最低限できれば良しとされていたのだ。
 私がフェイと初めて出会った十年前と現在の彼では、背は同じだが、筋肉の度合いはまったく違う。ゆったりした服や重ね着を好むせいでぱっと見た限りではわかりにくいが、脱いだらすごいんです、だろう。
「まあ、見たことないし、見たいとも思わんがな」
「何が?」
 リヴに怪訝な顔をされ、うっかり声に出してしまっていたことに気づいた。
「ふんふんふーん」
 わざとらしすぎる鼻歌を歌い、しかし、私はその場をなんとか切り抜け――られなかった。リヴは胡乱に私を見ている。私は皿を洗うふりをして、腰をかがめてカウンターの裏に隠れた。
 野郎の筋肉裸体なんぞ、興味はない。
 それより何より、フェイに筋肉が必要かいらんかなんぞ、お二階の寝室で二人きりで討論してくだされば、よろしいのじゃないかね?
 なんて言ったら、エルシーの標的は私に変わる。格闘家に生まれ、自らも格闘家のエルシーにとっては、筋肉は必要不可欠なのだ。ロウこそ、ちゃんと鍛えてるの、なんて、とばっちりを食らうに決まっている。
「どうしても食べたいなら、食べればいいわよ。でも、知らないから」
 エルシーは捨て台詞を吐き、降りてきたばかりの階段を上っていった。
 呆然と立ちつくすフェイ。その横でしかめ面をしているウィル。
「恐妻ですね」
 トーノは恐い、恐い、と肩をすくめた。
「でも大好きなんだ」
 フェイは床にぶちまけてしまったポテトチップスを拾い始めた。
「私が片付けるよ」
 ほうきとちりとりを持って行くと、フェイは私の手から掃除用具を奪った。
「俺がやります」
「構わんよ。今は、私はこの宿の主人で、あんたらはお客様だ」
「俺がやりますったら」
 フェイはエルシーに強制的に鍛えさせられた腕力で持って、ほうきをしっかり握って放さない。
「こんなの、飛ばしちゃえばいいじゃんかー」
 ウィルが無邪気な声で言った。リヴがハッとして制止しようと手を伸ばしたが、時すでに遅し。
「『火炎球』!」
 え、何で、火の魔法?
「それは火の魔法だろうがッ!」
 私の疑問とフェイの怒号がシンクロした。
 ウィルの指先から放たれた火の玉が、私とフェイをめがけて飛んでくる。もはや、ポテトチップスが標的ですらない。
「『深淵の碧』!」
 フェイが叫んだ。
 燃えさかる炎が眼前に迫っていたが、間一髪、現れた水龍が炎を抱き込むように体をうねらせた。火と水とは打ち消しあって、同時に消えた。
「やべ。間違えちったー」
 ウィルは頭を抱え、うずくまった。
 フェイはほっと胸をひとなでし、ぎろりとウィルを睨んだ。
「罰として、おまえもお菓子禁止だ」
 え、そんなんが罰?
「うわあ。キビしいッ」
 私の驚きとメリルの呟きはまったく一致しなかった。おっさんと少女の意識の差だけとは思えない、思考の壁を感じた。
「やだ。やだやだやだ」
 だだをこねるウィル。
「駄目だ。一年間、禁止」
「一年間……それって、今年だけってこと?」
 素で言っているのか、とぼけて言っているのか。今年だけならば、あと数時間ではないか。
「え? 一年間って、その年の初めから終わりまでを意味するんですか?」
 フェイは突然、不安そうな顔をして、私にそう訊いてきた。
 おいおい! そんなわけないだろう。
「ウィル。残念だが、今日からきっかり三百六十五日ってことだぜ。来年の大晦日まで、おまえはお菓子禁止だ」
 トーノはしごく冷静に説明した。
「うそぉ〜」
 ウィルはがっくりと頭を垂れた。
「本当に残念ね。ねえ、ロウ」
 リヴは艶やかな笑みを浮かべ、下唇をすっと指でなぞった。
 これは、私とリヴが密かに計画していた例のブツを登場させるタイミングの合図だった。
「いや、まったくだよ。残念、残念」
 私はぼやきながら、冷蔵庫からブツを取り出した。
 特大ケーキ。私が昨晩徹夜して焼いた、二段のラウンドケーキだ。自画自賛してもちっとも申し訳ないと思えない、素晴らしい出来映えだ。
 それを見たとたん、フェイは小さく、あっと叫んだ。
「駄目よ。男に二言はなし、でしょ」
 リヴはぱちん、と指を鳴らした。
 フェイとウィルの足は、瞬時に硬化されてしまった。リヴの得意の補助魔法だ。
「じゃ、いただきまーす」
 可哀想な二人が指をくわえている側で、我々はケーキをおいしく頂いた。いったん寝室に戻っていたエルシーも加わり、年の変わり目を、最高にうまいケーキと共に祝った。


 翌日。
 日付が変わって早朝まで騒いでいた我々は、昼過ぎまで寝てしまった。主人の私でさえ、目が覚めたときは正午を回っていた。
 ブランチというにも遅すぎる、本日一食目を作ろうと、キッチンへ行くと――。
「おはようございます」
 目の下に隈をつくったフェイが立っていた。その足元は、かっちり固まっていた。
「ケーキ……」
 亡霊のように呻いたのは、ウィル。その足元もまた、かちこちだ。
 不運なことに、フェイとウィルは膝下を硬化されたまま放置されていたのだった。
「すまん! 忘れとった。リヴを呼んでくる」
 私は大あわてでリヴの寝室に向かった。焦りすぎて、ノックするのを忘れ、ドアを開けてしまった。
「きゃあああ! 何してんのよ! 変態ッ」
 顔面にパンチを食らった。
 みごとなストレート。そして、わたしはノックアウトされた。
 着替えの最中にドアの鍵をかけないリヴもいけないのではないか。そんな口答えをする機会は与えてもらえなかった。
 見慣れた宿の景色が深い霧に包まれていくように、次第に視界が白くなっていく。
 幸先悪いな。今年も宿の売り上げが心配だ……思いながら、私は廊下に倒れた。





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